映画【BFG ビッグ・フレンドリー・ジャイアント】をひねくれ評価(評価点 6.8 / 10.0)◆ファンタジー
【洋画 / ファンタジー】 BFG ビッグ・フレンドリー・ジャイアント
作品情報
- 公開 : 2016年
- 監督 : スティーブン・スピルバーグ
- キャスト : マーク・ライランス ルビー・バーンヒル 他
あらすじ
孤児院で暮らす好奇心旺盛なソフィーは、毎晩深夜3時になると眠れずに一人の時間を過ごしていた。
ある日窓の外に気配を感じるとそこには巨人の姿が。
彼女に巨人の存在をおおやけにされることを恐れた彼は、ベッドに逃げ込んだソフィーを大きな手でつかみ連れ去ってしまう。
巨人に食べられると恐怖に怯えるソフィーだが、彼は人間など食べないという。
心優しい巨人とソフィーとの間に友情が芽生え始める。
作品補足
原作は「チャーリーとチョコレート工場」で知られるロアルド・ダール著作の「オ・ヤサシ巨人BFG」で、1982年に発表されている。
↓↓ ここからネタバレを含みます ↓↓
これより先は、ネタバレを含んだ上でのひねくれ評論となります。
ネタバレNGの方は閲覧いただかないようお気を付けください。
「BFG ビッグ・フレンドリー・ジャイアント」のひねくれ評論
途中で意味がわからなくなる。
まず、一番ひっかっかったところから書いていこうと思います。
今作品の意味が分からなくなってしまった原因は、終盤で子どもたちの失踪事件が新聞に取り上げられていて、それが巨人の仕業であると関連付けられたシーンにあります。
あのシーンの影響で、「実は巨人は子どもを食べにすでに人間世界に姿をあらわしていた」という事実が明らかとなり、今までのストーリーが一気に違和感で塗り替えられました。
確かに作品の中盤、BFGが街の子供に夢を吹き込んだ仕事帰り、マルノミたちが人間世界の丘を列をなして歩くシーンがありました。
あの丘は木の高さが巨人と同じくらいであった事と、背景に街の夜景が見えていたことから、人間世界と考えて間違いないと思います。
ただ、あのシーンだけでは、「あいつら今から人間を食べに行くんだな」と推測するには材料不足で、さらに人間世界を歩く彼らを見たソフィーは、「やめさせなきゃ、彼らを恐れてはいけないわ」とBFGを勇気づける発言にとどめていました。
まずこの「やめさせなきゃ」が何にかかっているのかが演出上では読み取る事はできません。
そしてもしあのシーンで人間を食べに行くことを表現するなら、せめて、
ソフィー「彼らは何をしにいくの?」
BFG「①あんたは知らなくていい事だ」or「②人間を食べに行くところだ」
などの解説が必要です。
ではなぜあのシーンで人間を食べに行く事を明確に表現しなかったのかを考えると、イギリス王妃が悪夢を見た直後、新聞により子ども失踪事件が巨人の仕業ではないかと疑いを持つシーンに対し、全ての付箋を集約させることが目的だったのではないかと推測します。
簡単に言うと、「子どもたちが失踪する原因は巨人の存在だったんだ!」という衝撃の事実を最後の方に持っていきたかったのかな、という推測です。
この推測が合っているかどうかは置いといて、どちらにせよ「失踪事件の犯人=巨人」の設定で通すなら、前半の違和感が強調されます。
強調される違和感ですが、まずマルノミがBFGの家を計2度訪れた際、「オレはいつも腹ペコ」「オレは人間マメしか食べない」「前に来た人間マメも見つけた」と発言しています。
まぁ「人間しか食べない」という発言は、マルノミが意地を張って言った事と判断できます。
ただ、いつも空腹である事と、以前にBFGがかくまっていた少年も見つけて食べた、という発言、そして躍起になってBFGの家でソフィー一人を探し回っていたシーンから、彼ら巨人たちにとって「人間マメはレア」であると推測ができます。
こうなるとストーリーバランスが変わってきます。
もし前述した「丘のシーン」が本当に人間を食べに行くシーンだったら、巨人たちはいつでも人間を食べることが可能と判断ができ、この時点で人間マメのレア度は低下します。
というか相次ぐ失踪事件が巨人の仕業なら、すでにレア度は希薄です。
仮に、「むやみに食べ過ぎると人間が街からいなくなってしまう」という懸念から、ある程度捕食を押さえていたとします。
この設定だと確かにレア度は維持できますが、「どこまでこっちで裏設定考えさせるねん」と、ストーリー補足を観る側に投げるという失礼な作品となってしまいます。
個人的には、もし上記裏設定がしっかり演出されていれば、ここまでの違和感にはなりませんでした。
結局のところ、
・「巨人たちをこらしめる」という大オチは外せない。
・それはイギリス王妃を巻き込んだ壮大なプランでなければならない。(個人的なものだとディズニーの規模として不足している)
・それに伴い、巨人は人類を脅かす存在である必要がある。
というこれらの意図を演出上メインの真相に設置したいという狙いに意識が偏りすぎて、足元の設定がおろそかになってしまったのではないでしょうか。
上述の、
「むやみに食べ過ぎると人間が街からいなくなってしまう」
この一言さえ挟まっていれば本当に問題ありませんでした。
ようは、「食べたいしいつでも食べられるんだけど我慢している」という状況です。
まぁこの設定は僕が勝手に考えた補足設定であり、そもそもそんな配慮すら頭に無かった可能性はありますが。
夢の玉の矛盾点
物語終盤、ラッパを王妃の宮殿に忘れてしまったBFGをフォローするため、ソフィーが夢の入った瓶を地面に叩きつけて巨人たちに悪夢を見せたシーン。
あのシーンでは、ラッパ無しでも夢を見せられるという事が分かります。
そうなると、BFG宅でマルノミたちがソフィーを探し回っていた際、たくさん集めた夢の入った瓶が何十個も割れて散らばっていたシーンに矛盾が出てきます。
ラッパ無しでも夢を見せられる、夢が入ってしまうのなら、あのBFG宅のシーンでは巨人たちが全員夢を見て錯乱状態に陥るはずです。
ここで、「寝ている人間にしか夢は入らない」と仮定します。
確かに今作品で夢が体内に入ったのは結果的に「睡眠中の人間、巨人」のみです。
ソフィーが悪夢の瓶を叩き割った時点で、マルノミだけは目覚めていました。
ただ、赤い夢の玉はマルノミの周囲を漂い、一旦は鼻の穴から彼の体内に侵入を試みており、それをマルノミ自身がつまみ出して拒否しています。
当然ながら観てる側として「起きてても悪夢を見てマルノミはダメージをうけるのかな」と想像してしまいます。
この想像は置いといて、ラッパ無し、かつ起きていても夢の玉が侵入してくるなら、やはりBFG宅で散らばった夢の玉は、とりあえず巨人たちに侵入しようとしなければなりません。
仮に「悪夢は勝手に体内に侵入してくるけど、良い夢は侵入しない」と無理な仮説を立てたとしても、BFGとソフィーが夢を捕まえに行くシーンで、悪夢は彼らの中への侵入を試みませんでした。
何より瓶を叩き割ったソフィー本人には、悪夢の玉は全くのスルーです。
先ほども述べたのですが、この辺の設定がおろそかになっており、違和感が増す原因になっています。
仕方なくこちら側で全てを納得させる裏設定を用意するとしたら、
・良い夢はラッパ無しでは勝手に侵入しない
・悪夢もラッパ無しでは勝手に侵入しない
・ただし悪い心を持つヤカラには悪夢は侵入を試みる
(・悪夢が侵入すると起きていても白昼夢を誘発させる ※未検証)
くらいでしょうか。
これらは箇条書きにするとなんだかめんどくさい設定かもしれませんが、セリフに直すと、
<BFGと夢を捕まえるシーンより>
ソ:「BFG!この赤い玉はどんな夢??」
B:「それは悪夢だ。そいつは悪い心を持つものの体が大好物なんだ」
くらいで充分なんです。細かい説明なんて必要ありません。
たった数秒のセリフがいかに大切か。
これが個人的には大切にしてほしい”配慮”ですね。
ソフィーの本当の目的
次に、ソフィーの一人称として物語を考えてみます。
個人的に気になったところは、ソフィーにとっていつから「巨人たちに人間を食べるのをやめさせる」という目的意識が芽生えたのかというところ。
BFGに連れ去られたソフィーは、彼がソフィーに見せた悪夢により「(やっぱり)巨人は人間を食べるんだ」と改めて認識します。
その後BFGは人間を食べないと分かって絆が芽生え、最終的にマルノミたちを懲らしめるためにイギリス王妃に力を借りるプランを立てるわけですが、ここで疑問が生じます。
悪い夢を王妃に見せるプランを思いついたソフィーですが、その段階でおそらくイギリスで起こっている失踪事件を認識していません。
そして前述にもあった、マルノミたちが人間世界の丘を歩いていたシーンでも、BFGに「やめさせなきゃ」とは言いつつも、そのセリフがどの行いに対するものであるのかが明確にされていません。
仮に「(人間を食べる事を)やめさせなきゃ」と意図していたなら、やはり演出上マルノミたちが夢でなく実際に人間を食べるシーンが用意されてないと明確に伝わりませんし、それならそうとはっきりセリフに追加してほしいところです。
流れを考慮した率直な感想を述べると、ソフィーの「やめさせなきゃ」は、「(あなたを好き勝手イジメるのを)やめさせなきゃ」と、BFG側への思いやりで言っているように聞こえました。
ここからは個人的な仮説と願望なのですが、後者のまま話を進めるとなると、ソフィーが王妃に見せた悪夢の真の目的は、「巨人による人類の被害の阻止」ではなく、「BFGに平和な暮らしをもたらせたい」という、友人を助けたいという好意的な行動であったと分類されます。
ようは、「ソフィーが友達のために一生懸命動いた結果、国を救う事にもつながった」というストーリー。
もしこれが作品の狙いだとしたら大満足ですが、実際に「そうだった!」と決定付ける脚本にはなっていなかったので、どこまでいっても仮説止まりですが。
はたしてソフィーの本当の目的は何だったんでしょうか。
まとめ
全体的な配慮不足。上っ面だけを目立たせた穴だらけのストーリー。
今回述べさせていただいたレビューは全て、「言いたいことだけ言っちゃったことによる細かいところの補足忘れ」です。
例えば何かの商品をプレゼンテーションする時、漠然と良さを伝えるのではなく、「こういう理由でこうなる」「だからメリットがある」「その結果こんな効果が期待できる」のように理由付けを行うことで、同じ商品でも良いように見てもらう工夫をこらしますよね。
今作品では、「絆というテーマ」「一人の勇敢な少女の物語」「王妃をも動かす規模」のような、上っ面のビッグテーマのみが前面に出ており、それらを下支えする細かな補足、設定達がおろそかになることで、本当に伝えたかったであろうテーマが崩壊しています。
お御輿なんかでも、皆で力を合わせて初めてあの大きな御輿が担がれるわけで、誰かが力を抜いたり、それこそ担ぎ手が不足していたら御輿は担げません。
「お御輿」という大きなテーマを担ぐには、「担ぎ手」である補足、配慮が無いと崩れてしまうのに対し、今作品では明らかに担ぎ手が不足していました。
それでも評価点が最悪ではないのは、やはり映像でしょうか。
それに設定もすごく面白いと思います。まぁ原作があるようですが、未読なのでよく知りません。
あと、ソフィーがキュートでした。BFGのキャラも良かった。
宮殿の食事会の時も普通に面白かった。
といった、最終的な感想も上っ面のなんとなくのものになってしまいました。
だってそれ以外特に尖がった良さが無かったんですもん。
一口おまけ評価
実際も良い人そう
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
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