映画【リメンバー・ミー】をひねくれ評価(評価点 8.3/ 10.0)◆ファンタジー・アドベンチャー
【洋画 / ファンタジー・アドベンチャー】 リメンバー・ミー / coco
作品情報
- 公開 : 2017年
- 監督 : リー・アンクリッチ
- キャスト : アンソニー・ゴンザレス / 石橋 陽彩 ガエル・ガルシア・ベルナル / 藤木 直人 他
あらすじ
ミュージシャンになることを夢見る天才ギタリストのミゲルは、一族の掟により音楽に触れることを固く禁じられていた。
夢をあきらめられないミゲルは、家族に内緒で地元開催のコンサートに出演することを決意する。
ギターを調達するため、かつて大スターだったデラクルスの霊殿に忍び込むが、彼のギターを弾いた瞬間、ミゲルは死者の世界へと迷い込んでしまう。
作品補足
監督は「トイ・ストーリー3」を手掛けたリー・アンクリッチ。
死者の世界には、実在した偉人たちがガイコツのキャラクターとして登場している。
↓↓ ここからネタバレを含みます ↓↓
これより先は、ネタバレを含んだ上でのひねくれ評論となります。
ネタバレNGの方は閲覧いただかないようお気を付けください。
「リメンバー・ミー」のひねくれ評論
※注 今回のレビューは「吹き替え版」のものとなります。
設定に穴は無し。
今作品でひときわ輝きを見せていたのは、映像よりも音楽よりも、「設定」です。
とても洗練された素晴らしい設定でした。
穴がほとんどない。
例えば、みんなから忘れられたら死者の世界からも消えてしまう、というこのルール。
ミゲルがヘクターを覚えて帰ったら問題ないのでは、という疑問も、生きている頃の彼との記憶でなければならない、という設定によりがっちりカバーされています。
そして、ヘクターを覚えている人間は年老いたママココがラスイチで、記憶を失いかけているためヘクターも消えかかっている。
でも、どんな有名人でも「生きているころ」を知る人は確実にいなくなっていきますよね。
いかりや長介さんに例えると、100年後にはリアルタイムで生きている頃のいかりやさんと時を過ごした人はいなくなるでしょう。
そうなると100年後いかりやさんは、こちらの世界ではまだ有名だったとしても死者の世界からは消えることになる。
でも、そう、それを「祭壇に写真を飾る」という設定でカバーしているわけですよね。
今で言えばネットやテレビの映像なんかでもOKなんでしょうか。
いや~本当に素晴らしい。
ただ、素晴らしい設定のうらに、ストーリー上ちょっともったいなかったなという点がありました。
詳細は次に。
ちょっともったいなかった点。
物語終盤、消えかけのヘクターを助けるには彼の写真が必須なのに、ミゲルは紛失してしまいました。
日の出というリミットの兼ね合いでミゲルは元の世界に戻ると、ダッシュでママココのもとへ向かい歌でヘクターを思い出させます。
そしてママココは記憶を取り戻し、引き出しからヘクターの写真を取り出し解決、したかのように思えます。
でもこれって、ミゲルの一人称で話を考えると、「ヘクターが助かったかどうか」はわからないままになっていませんか?
・死者の世界から帰還
・消えかけのヘクターを助けるためにママココの元にダッシュ
・ヘクターの記憶を取り戻し写真も見つかった。
・でも、手遅れだったかもしれない。
この最後の項目が演出上解決されていないように思いました。
その1年後の「死者の日」には、ヘクター含むリヴェラ一族総出でミゲルたちと一緒に歌いあう演出がありましたが、ミゲル的にはヘクターが無事だったということを知らない状態なはずです。
仮に、「ママココが思い出しさえすれば、ヘクターが一回消滅したとしてもまた復活するから大丈夫」だっとしてもやや強引な気もしますし、何より作中にそんな説明はありませんでした。
誰もがわかるレベルのハッピーエンドなわけですから、せめてどんな形でも良いので、「ヘクターは消滅しなかった」ということをミゲルが感じるシーンが欲しかった。
ふわっとで良いんです。
確信する、とか事実を知る、とかのレベルでなく、「きっと大丈夫だ」と思えるくらいの些細なヒントで良いんです。
まぁ、ピクサーから「全体の演出を見たら大丈夫だったという結末くらい想像できるやろ」と言われたら、「はい、すみませんでした」てなるくらいの話かもしれませんが、個人的には気になりましたね。
死者の世界のルールを紐解く。
冒頭でも述べましたが、今作品の設定の深さには本当に驚かされます。
ここでは個人的に気になった死者の世界のルールを少しだけ掘り下げてみたいと思います。
・死んでからすぐに死者の世界に行けるわけではない。
まず、騒動の1年後の「死者の日」の準備で、ママココの写真を祭壇に飾るシーンがありました。
もちろんママココが亡くなったとされる演出です。
その後死者の世界ではヘクター・イメルダとの再会を喜ぶママココの姿が。
この流れから、死者の世界には死んだ瞬間に行けるわけではない、ということが推測されます。
なぜなら、死んだ瞬間に死者の世界に行けるのであれば、「死者の日」を迎える前の段階でヘクターとママココは再開しているはずです。
彼らは互いに再開を心から望んでいたわけですし、ママココが死んでからわざわざ「死者の日」が来るのを待つ必要はありません。
仮に「死者の日」当日、ジャストタイミングでママココが死んだのなら、せめて葬儀のシーンくらいは用意されているはず。
まぁ最後にあんなに家族みんなでバカ騒ぎしてたんだから、ここはやはり「ママココが亡くなってからある程度期間が経過してからの死者の日」と考えるのが自然ですよね。
・ではどのタイミングで死者の世界に行けるのか?
ヘクターとママココの再開が「死者の日」当日であったため、ママココは死んでから一定期間、死者の世界には存在していなかった(または死者の世界に入国する前の待合のような世界があるとかでもOK)ということになります。
前項目の話を踏まえてママココのヘクター再開までの段階をまとめると
・ママココが亡くなる
・死者の世界ではないどこかで待機?
・「死者の日」を迎えてママココが死者の世界に入国
・ヘクターと再会
・リヴェラ一族みんなで生者の世界へ
という流れとなります。
よって、亡くなったのちに死者の世界に行けるのは「死者の日」のみ、であると考えるのが自然ですよね。
・ガイコツになる際の年齢基準を考える。
次に、死者の世界でガイコツ化される際の設定年齢を考えます。
ミゲルがガイコツ化されたリヴェラ一族を目にした際、正確にどのガイコツが誰なのかを言い当てるシーンがありました。
これは、祭壇に飾られた写真の面影がガイコツに反映されていたから、という理由からですが、少なくとも祭壇の写真はどの人物もよぼよぼの老人、というよりもやや若いころの写真が飾られていたように思います。
リヴェラ一族のガイコツたちを見てみても、老人よりも中年程度の年齢が姿として反映されていました。
では、ガイコツの姿になる年齢は、生前のどの時期が反映されるのでしょうか。
2つの仮説を立ててみます。
①祭壇に飾られた写真の年齢が反映される
ママココが亡くなってから祭壇に飾られた写真の姿は、他のみんなとは異なりよぼよぼのおばあちゃんの写真でした。
そして死者の世界でガイコツ化されたママココも、銀髪の老婆のような状態。
となると一見この仮説は通るようにも思いますが、リヴェラ一族で2名、それが当てはまらない人物がいます。
そう、イメルダとココです。
まずイメルダの写真は、若く美しい(?)ころの姿であるにもかかわらず、ガイコツの彼女は年増のおばさんのように見えました。
そしてココですが、唯一彼女だけ祭壇に2枚の写真が飾られています。
亡くなった際に飾られたもの、そしてイメルダに抱えられた幼少期のものです。
なので一瞬、おばあさん姿のママココではなく、幼少期のココの姿でガイコツ化されて、失われた親子の期間を取り戻すオチになるのかなと想像したのですが、違いました。
さすがです。ぬかりないですよね。
それやっちゃうとイメルダの件の説明がつかない。
よってこの仮説は成立しないことになります。
② 死んだときの年齢が反映される。
次に、死んだときの年齢が反映されると考えます。
ヘクターの場合は殺害された当時の年齢、ママココも亡くなった当時の年齢。
これだとなんとなくツジツマが合うような気がしますが、ガイコツ化されたリヴェラ一族はみんな中年程度の姿であることから、彼らはみんな若くして命を落としたということになります。
まぁ昔の時代の人たちは寿命が短かった、という背景も考えられなくはないので、どちらかというとこっちの仮説のほうが通る気がしますね。
ストーリーは王道。ひねり要素は無し。
全体を通して細かい設定は鉄壁であるものの、どんでん返しの要素はありませんでした。
ず~っと想定の範囲内というか、ある意味期待通りで、個人的に望む「裏切り」がゼロのまま終わっていきました。
何より「デラクルスは先祖ではない」というのが、早い段階で予想できてしまう。
あんなに毎日遊びまくって、ファンからもキャーキャー言われているシーンが演出されてたら、「あ、これはフラグかな」と連想してしまいますよね。
こうなるとミゲルの先祖はヘクターしか残されていない。
さぁどうなるのかなと前のめりに鑑賞していましたが、ごく普通に、想像通りにフラグが回収されてしまいました。
やっぱり映画作品である以上、「どっちなんだろう、どうなるんだろう」という先の見えないワクワク感か、もしくは「絶対こうだろう」を裏切る展開か、どちらかの要素は欲しいところです。
それか、「絶対こうだろう」は間違ってないものの、フラグの回収方法が想像を絶する演出になっているとか。まぁジャンルにもよりますが。
映像、音楽、設定は素晴らしいものの、とんがった脚本がなされておらず結果的に作品として「良かった」の域を出ませんでした。
まとめ
ピクサーを取り上げるのは難しい。
数多くの名作を創り上げてきたピクサーですが、ある意味良いものができてしかるべきの企業なんですよね。
スタッフごとに割り当てられたオフィスとか、社内の設備とか、福利厚生とか(知らんけど)、それはもうイマジネーションが膨らむベストな環境が与えられているわけです。お金もたくさんあるだろうし。
そりゃあ設定にも穴は無くなる。
だって、大勢のプロフェッショナルが頭を使って、ストーリーに違和感はないか、作品に穴は無いかなどを検証しまくってるはずですから。
ただ、良いものができて当たり前、というのを言いたいわけではありません。
お金を使おうが、プロを集めようが、ありえない駄作を世に出しちゃう映画監督なんてたくさんいるわけですし、良いものができる、というのは、それはもう本当に素晴らしいことで、仕事としては完璧な領域なんですよね。
じゃぁ何が言いたいかというと、やや評価を付け辛いということなんです。
サッカーで例えると、日本にも当然強いチームはあるわけですが、海外のクラブチームなんかと比較するともう相手にならないわけです。
それは日本が弱いとかではなくて、海外のクラブチームは世界中から才能のある選手を集めて、膨大な資金を使ってチームを強くするというように、勝ちへのプロセスが根本から異なるんです。
なので比較がしづらい。
一流のシェフが最高級の食材で作る豪華なディナーと、近所にある出汁が決め手の980円くらいのうどん屋と、どっちが美味いかなんて決められない。
なので、評価をする基準はどうしても固定観念のうえに成り立つし、ときに抽象的なものにもなりえます。
だから、誰が食べても感動的に美味しい豪華なディナーが80点くらいで、うどん屋が90点になる時もある。
それが価値観というものなんでしょうか。
どちらにせよ、ピクサーは毎度期待を裏切らない、モンスター企業であることに変わりはありません。
一口おまけ評価
こんなオフィスで働いてみたいわ。
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