映画【素晴らしきかな、人生】をひねくれ評価(評価点 7.1/ 10.0)◆ドラマ
【洋画 / ドラマ】 素晴らしきかな、人生 / Collateral Beauty
作品情報
- 公開 : 2016年
- 監督 : デヴィッド・フランケル
- キャスト :ウィル・スミス エドワード・ノートン キーラ・ナイトレイ 他
あらすじ
最愛の娘を失ったことで失意のどん底に落ちてしまったハワードは、かつての経営者としての手腕も発揮できず廃人のような人格に変わり果てていた。
ハワードが機能しなくなったことで会社の経営が傾きつつある事を懸念した同僚たちは、何とか以前の彼を取り戻してもらうべくある計画に乗り出す。
突如彼らの元に現れた舞台俳優を名乗る3人組の協力を得ながら、ハワードを動かす作戦を実行に移す同僚たち。
ハワードに関わる事で次第に彼らの人生にも大きな変化が訪れる。
作品補足
監督は2006年公開、アン・ハサウェイ主演の「プラダを着た悪魔」を手掛けたデヴィッド・フランケル。
↓↓ ここからネタバレを含みます ↓↓
これより先は、ネタバレを含んだ上でのひねくれ評論となります。
ネタバレNGの方は閲覧いただかないようお気を付けください。
「素晴らしきかな、人生」のひねくれ評論
ラストシーンで大混乱に陥ったその理由を述べる。
今作品は、ドラマというカテゴリの中にサスペンス要素も加わった、わりと見ごたえのある作品でした。
ただ、ラストのシーンが原因で完全に大混乱に陥ってしまいました。
設定にも多少強引なところがありましたがそちらは後で述べるとして、まずはその混乱してしまったラストシーンをメインに掘り下げていきたいと思います。
物語終盤、ハワードと前の奥さんであるマデリンが二人で公園を歩くシーンがありました。
その2人を橋の上から優しく見守る3人の天使たちを確認したハワードですが、彼の視線を追うようにマデリンが振り返ると、そこに彼らの姿はありませんでした。
ここで僕は衝撃を受けるとともに大混乱に陥ってしまいます。
彼ら3人の姿が消えたことで、物語全体に散りばめられたシーンに大きな疑問点が生じたからです。
天使たちは誰にでも見えるわけではなかったと推測される。
前述のとおり、マデリンが公園でハワードの視線を追ったその先には天使たちの姿はありませんでした。
まずはこのシーンの解釈として、
・ハワードには天使たちが見えていたがマデリンには見えていなかった
という演出がなされていたと推測します。
要は、「死」「愛」「時間」のそれぞれに対し、より近い人にしか彼らの姿は見えない、という設定です。
マデリンの娘が死を迎える直前、病院内に突如ブリジット(死)が姿を現しました。
これは、マデリンがより「死」を近くに感じていたことでブリジットが現れ、そして時を経た現在ではある程度娘の死を受け入れていたため、公園のシーンでマデリンには天使たちが見えなかった、という流れが想定できます。
ただそうなると、真っ先に次のシーンに対する疑問点が頭をよぎります。
女探偵とその孫が交わした会話の説明がつかない。
ハワードとブリジット(死)が初めて接触した際、興奮気味のハワードに対して通りすがりの探偵とその孫との間で、「あの人フェンスに向かって話している」「そんな人もいるわ」のような会話がありました。
僕はあのシーンを前後の演出の流れ上、「探偵と孫で一芝居打った」と認識していました。
ただ、ラストの公園のシーンでマデリンの目に天使たちが映らなかった事で、自分が想定していた物語のルールが適用されなくなり、逆に以下に述べる3パターンの設定が頭の中で枝分かれしました。
①探偵と孫には本当にブリジットが見えていなかった。
②2人ともブリジットの姿は見えており、やっぱり一芝居打っていた。
③探偵にはブリジットが見えていたが、孫にはハワードが本当に一人でしゃべっているように見えていた。
立てた仮説を1つずつ掘り下げていきます。
仮説①探偵と孫には本当にブリジットが見えていなかった。
こちらは演出上やや無理があります。
「孫に見えていなかった」はともかく、探偵にまで見えていなかったとなると、彼女が盗撮のため尾行していたハワードは彼女にとって、「本当に精神が崩壊したように見える男」に映っていたはずです。
彼女に与えられた仕事は、ハワードを経営者として継続させるのが困難だとする物的証拠を集めることであり、依頼主であるハワードの同僚たち3人には例の映像を提出しているはずです。
普通だとその時に、探偵から依頼主への尾行に関する詳細な結果報告と、映像に関する所感が添えられているのが自然な流れです。一応「探偵」と言うビジネスですし。
もし彼女に天使たちが見えていなかったら、精神崩壊したハワードについてをありのまま報告するはずで、報告を受けた3人はその時に、「えっ!?もしかしてオレらとハワードにしか見えてなかったの??」という事実に気づくわけですよね。
でもそんなシーンは用意されていませんでしたし、探偵もいたって普通のテンションで盗撮を続けているように見えました。
よって、①は可能性として低いと考えられます。
仮説②2人ともブリジットの姿は見えており、やっぱり一芝居打っていた。
この仮説も疑問がぬぐえません。
なぜなら、探偵の孫に「死」(ブリジット)が見えていることについて説明がなされていないからです。
例えば探偵の孫が病弱で毎日病院通い、手術をしても助かるかどうか分からない、的なエピソードが設置されていたならまだわかります。
要は孫も「死」に近いからこそブリジットが見えていた、という見解です。
でもそんなシーンは用意されていませんでした。
では仮に「天使たちは誰にでも見える」、という設定に置き換えたとすると、最も大切なシーンに対する説明がつかなくなる。
そう、ラストの「マデリンには天使が見えなかった」とするあのシーンです。
誰にでも見えるならマデリンにも見えなくてはならないし、そうでないなら孫にも「死」のエピソードを設置しなければ筋が通らない。
よって、②も適正な仮説ではなくなってしまいます。
仮説③探偵にはブリジットが見えていたが、孫にはハワードが本当に一人でしゃべっているように見えていた。
この仮説が設定としては一番近いかと考えます。
こちらの設定を当てはめると探偵とその孫のシーンは以下の流れとなります。
・ハワードとブリジットを初めて接触させる際、依頼主である3人と探偵には天使たちが見えており、事前に打ち合わせを行ったうえで探偵に一芝居打ってもらうという作戦を計画した。
⇩
・孫を連れて現場に行った探偵が、ハワードの横を通り過ぎる際に「一人でしゃべってる」的な発言を孫に言うよう促した。
⇩
・孫的にはハワードが本当に一人でしゃべっているように見えているから、特に演技をする必要もなく探偵からの指示に従うだけでよかった。
これだと一見スムーズな流れに感じます。
ただ、これは上記のシーンでのみスムーズなだけで、他のシーンに当てはめるとややマッチしなくなります。
それは、ハワードの同僚であるホイットとクレアにもブリジット(死)が見えていた、という設定が関係してくるからです。
ちなみにハワードの同僚たち3人に対する天使の担当をまとめると以下の通りとなります。
ブリジット「死」 ⇒ サイモン(重い病気)
エイミー「愛」 ⇒ ホイット(娘との確執)
ラフィ「時間」⇒ クレア(子どもが欲しい)
まず、ホイットとクレアにはあまり関連性の無さそうな、特にホイットにはほぼ無関係っぽい「死」(ブリジット)が見えている事がそもそもの違和感です。
もちろん3人とも大人なわけですから、何かしら「死」も「愛」も「時間」も関わっているという考え方もできますが、それだと天使たちは結構誰にでも簡単に舞い降りてしまうというお手軽な存在になってしまいます。
だって、浮気で娘に愛想をつかされただけのホイットにも「死」が見えているわけですから。
もっと言うと、ハワードには3人とも見えるなら、娘を失った当時のマデリンの前にも3人とも現れていないと話の都合上やはり違和感を感じます。
ハワードと同じ境遇に立たされたマデリンの前に現れたのは「死」(ブリジット)だけ。
せめて「愛」(エイミー)くらいは現れていてもいい気がします。
なのでこの仮説では、「天使は割と誰の前にでも現れるっぽいのに、なぜマデリンの前には「死」しか現れなかったのか」が解消できていないんです。
結局どの仮説もしっくりこない
3通りの仮説を掘り下げてみても分かることなんですが、この作品は、こっちを立てればこっちが立たない、という設定の煮え切らなさを強く感じます。
強引にこっちで都合の良い解釈をすると全てにつじつまが合う設定はひねり出せますよ。
それはどんな作品にも言えることです。
でも、作品の中で出た疑問は作品の中で解決されていることがマナーでありテクニックであって、観る側が頑張ってつじつまを合わせに行くのなんてはっきり言って作品として力不足です。
話を本題に戻しますが、あのラストシーンで天使たちの姿が消えてさえいなければ、つじつまは合う作品になっていたんです。
ここまで混乱することもなかった。
でも、やっぱりラストのシーンはこの作品のサプライズ要素として入れたかったんでしょうね。気持ちはわかりますよ。
でも、それをするならもっともっと緻密な脚本に仕上げないと、終わり良ければ全てよし、感動が先行すれば全てよし、の子どもダマしになってしまう。
なので、ラストのシーンを別の切り口で解釈してみます。
マデリンに天使たちが見えなかったのは、天使たちがその場から普通にいなくなっただけ。
要は、公園でマデリンと歩いていたハワードが橋のほうを振り返った時には天使たちはいたが、マデリンが振り返った時には天使たちはすでにその場を離れていた、という解釈です。
これだと、僕の中での矛盾点は無くなります。
普通に歩いていなくなった、が難しかったら、姿を消す能力を持っていた、とかでもOKです。(徒歩でその場を離れていたらもはや人間でもOKになってしまいますが・・・)
ただし、前述の通り見える人には見える、のような設定は適用されません。
単純に姿を出したり消したりできる能力、に限ります。
この解釈なら先ほどの仮説②の「2人ともブリジットの姿は見えており、やっぱり一芝居打っていた。」がしっかり当てはまります。
結局天使たちは誰にでも見える存在だったわけですから、何の違和感もありません。
でも、わかってます。監督がやりたかったのはそうじゃ無いことくらい、わかってます。
「死」「愛」「時間」というビッグワードから人間関係が成り立つ、ファンタジーとドラマが融合した作品として、熱いメッセージを伝えたかったんだと思います。
分かります。
だからこそ納得ができない、というか惜しい。
だって、設定としてはすごく面白いわけですから。
とんでもない駄作なら諦めもつくけど、もう一息だったから余計に腹が立つ。
なので次に、「こうすれば完璧だったのに」という僕なりの設定、演出を述べてみます。
個人的に思うベストな設定、それはやっぱり「天使は見える人には見える」
この設定が良いに決まってます。
結局ラストのシーンでは、天使たちはハワードには見えてマデリンには見えない、が一番メッセージとして伝わるものがありますよね。
昔のマデリンには「死」(ブリジット)は見えていたが、今は見えない。でもハワードにはまだ見える。
けど、いつかハワードにも見えなくなる日がきっと来るはず。
そう思わされて終わるのが一番キレイですよね。
たぶんこの作品、この流れで締めたかったんじゃないかなと僕は推測しています。
でもそれを前述したような矛盾点が、せっかくのメッセージ性を脆弱化させている。
では僕が個人的に「こうすれば完璧だったのに」という設定を述べてみます。
それは、
・後で観かえしたらちゃんとそれぞれの担当天使としか話していなかった
とする演出です。
例えば、舞台の稽古場でハワードの同僚3人&天使3人で打ち合わせをしているシーンでも、後で観かえしたら確かに各々が担当の天使としか話していないように演出されている、とか。
ホイットに見えていたのは実はエイミーだけ、サイモンに見えていたのはブリジットだけ、という感じです。
ストーリー的にそれを実現するのは無理があるかもしれませんが、それくらい緻密に計算された作品だったとしたら評価は全くの別ものになっていたと思います。
多少無理をすることでどうしても生じてしまう演出上の不自然さ、違和感とかは多少はあって良いんです。
そういう不自然さがかえってフラグとなるし、観ている側に気持ちよさを与える結果にも繋がるわけですし。
じゃぁ具体的にどんな技法でそれを脚本するのか、なんて脚本家ではない僕にまともなアイデアが出るはずもないので、ここは無責任に案だけ置き逃げします。ご容赦ください。
ストーリーはかなり強引。でもそこまでマイナスポイントではないという不思議。
設定にばかり気を取られ勝ちでしたが、今作品のストーリーはなかなかに強引です。
だって、友達であるハワードに対して取った同僚3人の行動、相当ひどくないですか?
ハワードに精神的疾患があると証明するための計画ですよ?
さらにそんなプランを企てる人間に加担する天使ってどんなん?て話です。
確かに経営者としてダメなのはハワードです。
でも、彼らの行動は娘を失った人間に対するものとは思えない。
友達なら、こんな最終手段に出る前にもっと別の対応策があったはず。
首根っこひっつかんででも遊びに連れ出すとか、もしくは正直に会社が潰れそうだから申し訳ないがいついつまでに決断してくれ、と厳しく尻を叩くとか。
幹部がそろって導き出した計画が「死」「愛」「時間」役のキャラをハワードに接触させて彼の精神疾患を証明する、ですよ。
冷静に考えてください。なかなかでしょう。
ハワードがピュアな性格だったからよかったものの、普通の人間ならハッピーエンドはありえない。
でも、今作品を観賞した人は、あんまりその辺が気にならなかったんじゃないでしょうか。
それはなぜかと言うと、この作品が伝えたい根本的な部分にブレがなかったからなんだと思います。
先ほど、いろんな仮説を立ててあ~だこ~だ言いましたけど、結局のところ、「言いたかったのはこんな感じのことなんだろうな」というのがわりとちゃんと伝わってくる。
よく、「結局何が言いたかったんだ・・・?」みたいな作品ってあるじゃないですか。
でもそんなクエスチョンは無く、この作品はむしろどストレートでした。
監督の言いたかったことのイメージは湧いてくる。
これをよくある感動狙いの作品、と揶揄する人もいるでしょう。
でもね、単に感動だけを誘う作品、商業臭の強い作品の場合、監督の熱量なんてこっちに伝わって来ないもんですから。
まぁ熱意だけで名作が創れるわけでは無いので、大きな加点の対象にはなりませんが。
引き込まれるストーリーだったのは間違いない。
「素晴らしきかな、人生」という邦題がクソなのと設定の矛盾点は置いといて、僕はこの作品、ちゃんと引き込まれました。
マデリンがハワードの前妻だった事が明かされたサプライズの演出も、ちゃんと終盤まで気が付きませんでした。
それは、カテゴリがドラマであるということから、完全に気を抜いていたというのもあります。
これってあまり良くないことかもしれませんが、「サスペンス」とか「ミステリー」だったら、どうしてもクセでフラグ探しをしてしまいませんか?
手品を見る時なんかとちょっと似ていて、自動的に「見破ってやる」みたいな感情が沸いてしまうような、そんな感じです。(こういう人結構いるはず。)
でも基本は「やっぱりそうだったか」てなるより、「そうだったんだ!」てなる方が好きなんで、ドラマというジャンルの作品でこういったサプライズが用意されているのってちょっと嬉しい。
日常で普通に生活していて突然手品を見せられたような感じでしょうか?
ちょっと伝わりにくいか・・。
まぁ自分の話は置いといて、 やっぱり問題はその手品のクオリティですよね。
この作品、ホント惜しかったなぁと思います。
むしろ「天使」じゃなくて全然良かった。
先ほどもちらっと述べましたが、僕は個人的に、3人の天使たちは普通の人間でも全然良かったと思います。
というか、長々と述べた仮説のとおり、人間であることしか説明がつかないから、自然と彼らは人間なんだろうなという目線で見てました。
だから最後に大混乱しちゃったわけなんですよね。
良い感じにラストを迎えて、あぁ良い終わり方だなぁ~って思ってたら突然3人が消えたから思わず「ガバッ」と言う感じで体勢を起こしました。
確かにうっすら「フラグかな?」と思うシーンはありました。
ホイットに名前を聞かれたエイミーが、一瞬妙な間を開けて名乗りに応じた時に、「今の間、何かのフラグか?」といった連想をしたし、女探偵と孫の会話なんかでも明らかに何らかの伏線になっている気配が漂っていました。
が、その観点はストーリーが進むにつれどんどん打ち消されて行って、「気のせいか」「思い過ごしか」という感じで目線が切り替わり、最後には忘れちゃってたんですね。
今考えたらやっぱり、ホイットが名前を聞いたシーンはフラグっぽい気もします。
探偵と孫のシーンについては、さっき掘り下げた際に「結局わからんかった」という惨敗の結論でしたが。
まとめ
設定と脚本のミスマッチ。上手く融合していたらとんでもない作品になっていた。
今回、てかいつもそうですが、僕が述べたレビューは全て僕の主観であり、仮説と推測で作品を掘り下げています。
なので僕が立てた仮説に穴がある可能性はもちろんある。
ただ、ここでは「間違ってたらごめんね」的な保険をかけるような事を言いたいのではなく、むしろその逆で「他に根拠のある説明ができますか、あればぜひ知りたい」という観点を強調したいんです。
僕が苦手なのは、「あの監督だからきっとこういうことを言いたかったんだろう」というメッセージの部分をこちらに委ねてくるような作品です。
まぁ好きな人もいるんでしょうが、なんかそれって、常連しか集わない飲み屋さんに間違って入ってしまった時のような疎外感を感じるんですよね。
もうそこには身内的なグループが成り立っていて、後からそこに入っていくハードルが高い、というか、面倒くさい。
作品に置き換えると「そんなルール知るか」という話です。
だから、僕が作品を深堀りした時の評価は基本的に中立です。
そのグループの中でもなく外でもない、中外全体をひっくるめて深堀りすることを意識しています。
それを踏まえての本題ですが、今回述べた疑問点がもし解消されていたならば、とんでもなく優れた作品に仕上がっていたと思います。
ラブストーリーとファンタジーとサスペンスが上手く融合したハイレベルな作品に。
正直なところ設定とかはよくあるものかもしれませんが、脚本の穴が完全にふさがっていれば、名作の仲間入りになっていてもおかしくなかったと思います。
ただ、それは僕がイメージした「見える人には見える」の設定を極めた脚本の場合です。
て、今の感想には若干の好みが入りましたが、矛盾を残したままの作品よりかは絶対良いはずです。
ホント、惜しかった。
一口おまけ評価
4人目の天使「欲」
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